ポスト・ヒューマンの魔術師

「自称人間」の時代からポスト・ヒューマンの時代へ。

意識の<私>を操作する無意識の<自分>

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要約

 意識の選択は、事前に遂行された無意識の選択に依存する。

意識の<私>と無意識の<自分>の差異

 閾下では、閾上で戯れる意識に比して膨大な情報処理が遂行されている。しかし、意識が無意識の業績に気付くことは稀である。ジュリアン・ジェインズが述べたように、「意識が心の営みに占める割合は、私たちが意識しているよりはるかに小さい。というのも、私たちは意識していないものを意識することはできないからだ」(1)。それ故、意識は無意識の業績を自己の業績として短絡してしまう。ダニエル・デネットも了承するように、「すべてがうまくいっているときは体内に調和が保たれ、身体中に広がった知恵の源泉が全体の利益のために協調しあう。しかし、ひとたび葛藤に見舞われるとどんなことになるかは、誰もが知りすぎるほど知っている。爆発を起こし、「わたしの身体は独自の心を持っている」などという妙な状態に陥るのである」(2)しかし、仮にそうだとすれば、意識が上機嫌な場合には、それが意識的な経験なのか無意識的な現象なのかを区別する手立てが無いということになる。葛藤があるからこそ、区別できるのだ。この関連から、トール・ノーレットランダーシュは次のような疑問に直面した。「人間は不快なときにしか自由意思を持たないのだろうか。それとも、気分のいいときにも自由意思はあるのだろうか。そうだとしたら、それは誰の自由意思なのか(3)

 このパラドクスに対して、ノーレットランダーシュは、自由意思を持つ<私>と身体レベルの<自分>を区別することで対応した。そして、<私>は<自分>が構成した虚構的な幻想だと言う。すなわち「<私>の経験では、行動するのは<私>ということになる。感じるのも<私>、考えるのも<私>だ。だが、実際それをしているのは<自分>だ。私は、私自身の、私にとってのユーザーイリュージョンなのだ(4)。この見解は、多方面の研究領域へ接続できる。マイケル・ポラニーならば、このことを<暗黙知>(5)と結び付けて語るだろう。ジェイムズ・ギブソンならば、「アフォーダンス」(6)を引き合いに出すはずだ。ジュリアン・ジェインズは、このことを「アナログの<私>」として提唱している(7)

<自分>の選択に準拠する<私>の選択

 これを前提にすれば、意識する<私>は、身体の感覚器官に位置する無意識の<自分>が選択的に縮減した複雑性を事後的に観察する。閾上の<私>は、閾下の<自分>が用意した情報や概念の選択肢から、改めて<私>としての選択を遂行する。<自分>が捨象した情報や概念を、<私>は知ることができない。言い換えれば、<自分>が選択しなかった情報や概念は、<私>の不可避的な盲点となる。日常の<私>は、自ら発現させた盲点を等閑視すると同時に、<自分>が等閑視した盲点も改めて等閑視する。「意識されるはるか以前に、無意識のプロセスによって情報が処分され、その結果、私たちは一つのシミュレーション、一つの仮説、一つの解釈を目にする。しかも、私たちに選択の自由はない(8) 。西垣通はヴァーチャル・リアリティとの関連から、「われわれが普段信じている「リアル」な自己とは、自分がある制限された脳の状態のもとで認知・思考しているということを、愚かにも忘れ果てた存在なのではないか?」(9)と疑問視した訳だが、それは無論今に始まったことではないのだ。意識する<私>は、潜在的でヴァーチャルな<自分>よりも、顕在的でアクチュアルな<私>自身にリアリティを感じてしまう。北澤裕の分析と関連付けるならば、「アクチュアル化に見せ掛ける可視化、すなわち「擬制的アクチュアル化」とこれによりアクチュアルであるかのように生成される可視的ヴァーチャルが、ヴァーチャルの本質だといえる」(10)。意識する<私>は、無意識の<自分>が構成した虚構なのである。

結論

 意識は、無意識的に作動する身体の感覚器官における情報のフィルタリングに準拠した上で、事後的に情報の処理や知識の獲得を実行している。無意識の<自分>は、意識の<私>が実行する選択肢を事前に選択しているのだ。したがって、意識は無意識的に方向付けられているということになる。

注釈

  1.  ジュリアン・ジェインズ(著)、柴田祐之(訳)『神々の沈黙 -意識の誕生と文明の興亡』紀伊國屋書店 (2005)を参照。
  2.  ダニエル・C. デネット(著)、土屋俊 (訳) 『心はどこにあるのか』草思社 (1997)、p142を参照。
  3.  トール・ノーレットランダーシュ (著)、柴田裕之 (訳)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊國屋書店 (2002)、p306を参照。
  4.  トール・ノーレットランダーシュ (著)、柴田裕之 (訳)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊國屋書店 (2002)、p357を参照。
  5.  マイケル・ポラニー(著)、高橋 勇夫 (訳)『暗黙知の次元』筑摩書房 (2003)を参照。
  6.  ジェイムズ・J・ギブソン(著)、 古崎敬(訳)『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』サイエンス社(1986)を参照。
  7.  ジュリアン・ジェインズ(著)、柴田祐之(訳)『神々の沈黙 -意識の誕生と文明の興亡』紀伊國屋書店 (2005)、p83を参照。
  8.  トール・ノーレットランダーシュ (著)、柴田裕之 (訳)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊國屋書店 (2002)、p233を参照。
  9.  西垣通(著)『聖なるヴァーチャル・リアリティ』岩波書店(1995)、p138を参照。
  10.  北澤裕(著)『視覚とヴァーチャルな世界 -コロンブスからポストヒューマンへ』世界思想社(2005)、p161を参照。

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