知識社会を阻害する人間の意識
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要約
高度情報社会から知識社会へと発展した現代社会では、人間の意識は役に立たない。
閾上を戯れる意識
序論で言及したように、我々は無知社会を生きている。ここでは、この無知社会をより厳密に分析してみよう。重要となるのは、情報と知識を区別することである。つまり、情報を共有することが、知識の増強に結び付くという見解を、捨てる必要があるのだ。このことを最も端的に言い表したのは、科学評論家のトール・ノーレットランダーシュだろう。ノーレットランダーシュの調査
(1)が明確に指し示したように、我々の身体の感覚器官が受信している情報量は、毎秒約1100万ビットに至る。だが我々の意識は、この膨大な情報の全てを処理することができない。高く見積もったとしても、意識が瞬時に処理できる情報量は40ビット程度だ。たとえば下條信輔が述べたように、「視知覚情報処理の大部分は、われわれの意識にとってアクセス不能であり、われわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない」
(2)。
つまり我々の意識は、無意識の領域において既に選別された情報を認識しているに過ぎないのである。
ダニエル・ベルが衝撃を受けた「知識社会」(3)でさえ、人間の意識は障害物となる。意識は、膨大な情報を並列的に処理することができない。意識は、外部環境のカオスから身を守る必要がある。「選抜や厳しい選択がはじめて、データから情報を、そして情報から利用可能な「知」をつくるからだ。だから、フィルターにかけること、すなわち無視したり忘れたりすることが必要になる」(4)。そしてこの処理は、時間を要する。ベンジャミン・リベットの研究によると、我々の意識的経験が発現するためには、0.5秒の脳活動が必要になるとのことだ(5)。それ故、我々の意識が現在を認識するのは、常に事後的である。質的にも速度的にも、意識は情報処理の邪魔となる訳だ。
心理学者ジュリアン・ジェインズによれば、意識は比喩的な言語を利用することで、対象を理解する。「私たちは何かを理解しようとするとき、わけのわからぬものを説明しようとする子供のように、その「何か」の比喩を探しているのだ」(6)。そして「比喩の「世界」の最も重要な特徴は、自分自身の比喩、すなわちアナログの<私>だ。(中略)私たちは「自分自身」があれこれ「する」ところを想像して、決意を「固める」」(7)。ジョージ・レイコフとマーク・ジョンソンが口を揃えて言うように、メタファーやレトリカルな言語は、概念に伴う複雑性を別の概念を利用することで縮減するフィルターとして機能している(8) 。だが一方で、<概念の複雑性を縮減する概念>に伴う複雑性を縮減するためには、またしても別の概念を利用しなければならない。無限後退に陥るのだ。とはいえ、我々は日常的にこうした無限後退を配慮している訳ではない。時間や生態エネルギーに制約がある以上、全てに対処することはできない。如何なる概念を利用するのかは、暫定的に決定する必要があるのだ。
言い換えれば、我々が知ることができる現実は、選択された一部に限られるということである。全てを見渡すことはできないのだ。それ故「近代の知は、「外部の」世界を引き合いに出すのではなく、別の知を引き合いに出す。私は、自分の小さな箱に明かりをともすだけで他のすべてを無視する(つまりブラックボックス化)という条件の下でのみ、知の探究者として一人前になれるのだ。そこから生まれるのは、理解しないままで利用せざるをえないような知である」(9)。
結論
何か一つを知るということは、別の何かを見落とすということである。言い換えれば、知識の獲得と盲点の形成は、地と図の関係なのだ。グレゴリー・ベイトソンが定義したように、情報は「差異を生み出す差異」である
(10)。膨大な情報が構成されれば、我々は膨大な選択に迫られる。我々は、情報を差異化しなければならない。身体の感覚器官が無意識的にフィルタリングした情報の中から、意識は更に取捨選択することで、知識を構成しなければならないのだ。しかし、意識にこの過程で捨象された情報を知る手立ては無い。意識が知識を構成するには、捨象した情報の全てを諦めなければならない。
知識社会において、我々が意識的に知識を構成するということは、我々が無知になることを言い表しているのである。
注釈
- トール・ノーレットランダーシュ (著)、柴田裕之 (訳)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊國屋書店 (2002)、pp160-197を参照。尚、閾上知覚と閾下知覚については、Dixon,N.F Subliminal Perception The nature of a controve, McGraw-Hill Inc.,US (1971),pp1-10を参照(追記日時:2008/06/17 14:29)。
- 下條 信輔 (著)『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』中央公論社 (1996)、p169を参照。
- ダニエル・ベル (著)、山崎正和 (訳)、林雄二郎 (訳)『知識社会の衝撃』阪急コミュニケーションズ (1995)を参照。
- ノルベルト・ボルツ(著)、村上淳一(訳)『意味に餓える社会』東京大学出版会(1998)、p232を参照。
- ベンジャミン・リベット (著)、下條信輔 (訳)『マインド・タイム 脳と意識の時間』岩波書店 (2005)、pp39-104を参照。
- ジュリアン・ジェインズ(著)、柴田祐之(訳)『神々の沈黙 -意識の誕生と文明の興亡』紀伊國屋書店 (2005)、p68を参照。
- 同上、p83を参照。
- ジョージ・レイコフ (著)、マーク・ジョンソン (著)、渡部昇一 (訳)、楠瀬淳三 (訳)、下谷 和幸 (訳)『レトリックと人生』大修館書店(1986)を参照。
- ノルベルト・ボルツ(著)、村上淳一(訳)『意味に餓える社会』東京大学出版会(1998)、p52を参照。
- グレゴリー・ベイトソン (著)、佐藤良明 (訳)『精神の生態学』新思索社; 改訂第2版版 (2000)を参照。
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