ポスト・ヒューマンの魔術師

「自称人間」の時代からポスト・ヒューマンの時代へ。

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この章の要約

  人間性の本質は、既に自滅している。もはや人間中心主義者たちは、時代遅れの「自称人間」に過ぎない。一方、知識社会は、無知社会である。特にトランス・ヒューマニズムは、我々の身体に関する「無知」を拡大する。今我々に必要なのは、情報や知識を増やすことではない。「無知」を癒すことだ。これを前提にすれば、「無知」でも成立する社会システムが必要となる。この条件を満たすのは、「自称人間」の動物的・家畜的な欲求を「デザイン」する「環境管理型権力」に他ならない。この社会システムを背景とすれば、もはや「自称人間」は用済みだ。現代は、ポスト・ヒューマン(人間後)の時代なのである。

邪魔になる人間の意識

  1. 序論:無知社会へようこそ!
     私の視座は、知識社会におけるトランス・ヒューマニズムの発達が、逆説的にも、我々の身体や技術に対する「無知」を拡張していくということである。
  2. 知識社会を阻害する人間の意識
     高度情報社会から知識社会へと発展した現代社会では、人間の意識は役に立たない
  3. 意識の<私>を操作する無意識の<自分>
     意識の選択は、事前に遂行された無意識の選択に依存する

無知でも無理解でも利用可能な知識と技術

  1. 無知を癒す魔術的な「デザイン」
     トランス・ヒューマニズムの技術を日常的に利用するならば、我々は、技術と身体を無理解のまま利用することになる。したがって、トランス・ヒューマニズムは、我々の身体に関する無知を拡大する。それ故、我々に必要となるのは、知識を増やすことではなく、無知を癒す方法である
  2. 魔術的な「デザイン」の「実行可能性」
     「デザイン」を利用することで、我々は無知で無理解な自己を癒すことが可能になる。
  3. 中間考察1:魔術的「デザイン」の方法論
     「デザイン」は如何にして可能なのかを説明しよう。
  4. 中間考察2:魔術的「デザイン」の進化論
     魔術的な「デザイン」は、「怒り」、「恐怖」、「空腹」、「性欲」を方向付ける場合、他の「デザイン」に比して残存する可能性が高い。

「動物」的な「欲求」を操作するトランス・ヒューマニズム

  1. 無知な<私>に自信をくれる「環境管理型権力」
     「環境管理型社会」では、技術が閾下の<自分>を方向付ける。<私>は、技術に方向付けられた<自分>に方向付けられている。
  2. 動物化する「自称人間」の「自己家畜化」
     一体、この社会の何処に「人間」が居るのだろう。「私は人間だ」と主張する「自称人間」しか居ないではないか。
  3. 「自称人間」たちの「動物」的な政治
     政治家は、「動物」を管理する。しかし、政治家自身もまた「動物」である
  4. 予備考察1:法と「人間」のお別れ会
     「自称人間」は、道徳的に悪とされるもの、倫理的に非道とされるもの、あるいは非人間的な振る舞いに法的な制裁を放とうとする。しかし、それは法的な制裁ではなく、「動物」的な「欲求」に裏付けされた魔術的な「デザイン」に他ならない。
  5. 予備考察2:思考をサボるための道徳と倫理
     道徳と倫理は、学習しない姿勢を正当化させるために役立つ。したがって道徳と倫理は、法システムのオルタナティヴとはなり得ない。むしろ、道徳と倫理は法システムの邪魔となるだろう。
  6. 「動物」たちの魔術的な消費市場
     貨幣は、「動物」たちの「自己家畜化」を促進させる。貨幣を支払うことができる者も、支払うことができない者も、「動物」的な「欲求」に方向付けられている「自称人間」であることには変わりは無いのである。ポスト・ヒューマニティが格差を助長すると考えている論客は、これでホッとしたのではないだろうか

「自称人間」の時代からポスト・ヒューマンの時代へ

  1. 結語:ポスト・ヒューマンの降臨
     「人間」の時代は終わった。トランス・ヒューマニズムが構成する技術は、既に自滅していた人間中心主義者に止めを刺すことになる。現代はもはや、ポスト・ヒューマンの時代である

主要参考文献

Dixon,N.F Subliminal Perception The nature of a controve, McGraw-Hill Inc.,US (1971)(追記日時:2008/06/17 14:31)
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ジョージ・レイコフ (著)、マーク・ジョンソン (著)、渡部昇一 (訳)、楠瀬淳三 (訳)、下谷 和幸 (訳)『レトリックと人生』大修館書店(1986)
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スーザン・ブラックモア (著)、垂水雄二 (訳)『ミーム・マシンとしての私(下)』草思社 (2000)
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ニクラス・ルーマン(著)、長岡克行(訳)『権力』勁草書房(1986)
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ニクラス・ルーマン(著)、佐藤勉(訳)『社会システム理論(上)』恒星社厚生閣(1993)
ニクラス・ルーマン(著)、佐藤勉(訳)『社会システム理論(下)』恒星社厚生閣(1993)
ニクラス・ルーマン(著)、土方昭 (訳)、土方透 (訳)『宗教論--現代社会における宗教の可能性』法政大学出版局 (1994)
ニクラス・ルーマン(著)、春日淳一(訳)『社会の経済』文眞堂 (1991)
ニクラス・ルーマン (著)、馬場靖雄 (訳)、江口厚仁 (訳)、上村隆広 (訳)『社会の法(1)』法政大学出版局(2003)
ニクラス・ルーマン (著)、馬場靖雄 (訳)、江口厚仁 (訳)、上村隆広 (訳)『社会の法(2)』法政大学出版局(2003)
ニクラス・ルーマン(著)馬場靖雄(訳)『社会の芸術』法政大学出版局(2004)
ニクラス・ルーマン(著)、村上淳一(訳)『ポストヒューマンの人間論―[後期ルーマン論集]』東京大学出版局(2007)
ノルベルト・ボルツ(著)、村上淳一(訳)『意味に餓える社会』東京大学出版会(1998)
ノルベルト・ボルツ(著)、識名章喜(訳)、足立典子(訳)『グーテンベルク銀河系の終焉』法政大学出版局(1999)(2008/07/14 11:39 追記)
ノルベルト・ボルツ(著)、山本尤(訳)『カオスとシミュレーション』法政大学出版局(2000)
ノルベルト・ボルツ(著)、村上淳一(訳)『世界コミュニケーション』東京大学出版会(2002)
フランシス・フクヤマ(著)、鈴木淑美(訳)『人間の終わり -バイオテクノロジーはなぜ危険か』ダイヤモンド社(2002)、
ベンジャミン・リベット (著)、下條信輔 (訳)『マインド・タイム 脳と意識の時間』岩波書店 (2005)
マイケル・ポラニー(著)、高橋 勇夫 (訳)『暗黙知の次元』筑摩書房 (2003)
マルチン・ハイデガー (著)、桑木務(訳)『ヒューマニズムについて』角川書店 (1984)
ミシェル・フーコー(著)、田村俶(訳)『監獄の誕生―監視と処罰』新潮社(1977)を参照。
ミルチャ・エリアーデ(著)、風間敏夫(訳)『聖と俗―宗教的なるものの本質について 』法政大学出版局(1969)
ヨハン・ゴットフリード・ヘルダー(著)、大阪大学ドイツ近代文学研究会(訳)『言語起源論』法政大学出版局(1992)
ラメズ・ナム (著)、西尾香苗 (訳) 『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』河出書房新社 (2006)
リチャード・ドーキンス (著)、日高敏隆 (訳)、岸由二 (訳)、羽田節子 (訳)、垂水雄二 (訳) 『利己的な遺伝子 <増補新装版>』紀伊國屋書店; 増補新装版 (2006)
リチャード・ブロディ (著)、森弘之 (訳)『ミーム―心を操るウイルス』講談社 (1998)
レイ・カーツワイル(著)、井上健 (訳)、小野木明恵 (訳)、野中香方子 (訳)、福田実(訳)『ポスト・ヒューマン誕生 -コンピュータが人間の知性を超えるとき』日本放送出版協会 (2007)
東浩紀(著)『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』講談社現代新書(2001)
東浩紀(著)、大澤真幸(著)『自由を考える―9・11以降の現代思想』NHKブックス(2003)
大澤真幸(著)『行為の代数学 スペンサー=ブラウンから社会システム論へ』(1999)
北澤裕(著)『視覚とヴァーチャルな世界 -コロンブスからポストヒューマンへ』世界思想社(2005)
小泉義之(著)『生殖の哲学』河出書房新社(2003)
櫻井芳雄他(編)『ブレイン-マシン・インターフェイス最前線 脳と機械をむすぶ革新技術』工業調査会(2007)、
下條 信輔 (著)『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』中央公論社 (1996)
長岡克行(著)『ルーマン/社会の理論の革命』勁草書房(2006)
西垣通(著)『聖なるヴァーチャル・リアリティ』岩波書店(1995)
土方透 (著)、アルミン・ナセヒ (著)『リスク―制御のパラドクス』新泉社 (2002)
宮台真司(著)、速水由紀子(著)『サイファ覚醒せよ-世界の新解読バイブル』筑摩書房(2000)
山本貴光 (著)、吉川浩満 (著)『心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く』朝日出版社 (2004)
吉澤夏子(著)『世界の儚さの社会学 シュッツからルーマンへ』勁草書房 (2002)

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