ポスト・ヒューマンの魔術師

「自称人間」の時代からポスト・ヒューマンの時代へ。

動物化させるポスト・ヒューマン

  1. 動物化させるポスト・ヒューマン:はじめに
  2. 他者を信頼することの負担
  3. 人格の意味と身体の意味
  4. 「欲求」する「動物」としての<自分>
  5. フランシス・フクヤマの「欲望」
  6. 動物的な、あまりに動物的な。
  7. 脱動物化という動物化
  8. 動物化させるポスト・ヒューマン:結論

はじめに

 前章でも述べたように、「デザイン」は、より単純に没入できる方向性を指し示す魔術である。そして「デザイン」された「デザイン」は、<より単純に没入できる方向性を指し示す>という没入形式に対して、より単純に没入できる方向性を指し示すことを可能にする。複雑高度で予測不可能な現実に生きる我々にとって、以前よりも見晴らしの良い場所へと観点を移させてくれる「デザイン」ほど、有り難いものは無い。

 この「デザイン」の機能を前提に言えば、我々の社会に必要となるポリシーが明確となる。すなわち、単純であり、便宜的であり、無知でも構わず、理解する必要が無い、虚構を前提に成り立つ「デザイン指向」だ。

 前章では、如何にして「デザイン」は可能なのかについて詳述した。この章では、実際にこの「デザイン」の機能を活用した場合、どのような社会政策が可能になるのかについて考察していく。とはいえ、ここで私が論じるのは、「あるべき社会」ではない。あくまで「あり得る社会」だ。社会の必然的な傾向ではなく、可能な傾向を読み解いていく。

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