したがって、ここで我々の焦点は、上述した第二の発想へと移ることになる。すなわち、生命システムと脳システムの構造それ自体を時空間的に「デザイン」するということだ。これは文字通り、構造的な複雑性に対する機能的な単純化に他ならない。生命システムや脳システムの構造それ自体を介した攪乱を付与することで、双方のシステムにおけるオートポイエーシス的な再生産を方向付けるのである。
ここで一旦、歴史を遡っておこう。テムキンの調査[2]によれば、「てんかん(癲癇)」とは、「エピレプシー(epilepsy)」を意味する。この語は、「襲う(attack)」と「捕らえる(seize)」と同様に、「epilambanien」という語源を持っている。「てんかん」を初めて目撃した古代人は、そこに魔術的な束縛を見出したのであろう。患者はもはや、神聖な力に襲われ、捕らえられていると考えられていたのだ。
哲学の方面では、ヒポクラテスが早くからこの魔術的な病を脱魔術化しようとしていた[3]。「てんかん」を逸早く観察したヒポクラテスは、精神の中核が心臓にあると考えられていたその時代に、「てんかん」の病原が脳にあると見抜いていたのである[4]。そしてまた、ヒポクラテスは、この神聖なる病には医学的な兆候があることにも言及している。「さてこの神聖病と呼ばれる病気は、他の諸病と同様の原因、すなわち人体に入って来るものと人体から出て行くもの、および寒冷や太陽や常に変化してやむことのない風の変化によっておこるのである」[5]。
とはいえ、ヒポクラテスの脱魔術化が直ぐに一般大衆へと受け入れられた訳ではなかった。「てんかん」を患う「エピレプシー」が、狂気と区別されるのは、近代まで待たなければならない。「てんかん」を患う「エピレプシー」は、社会システムの近代化を迎えてようやく脱魔術的に受け入れられるようになった。レンノックス[6]や秋元波留夫[7]らが断言しているように、「てんかん」を近代以降正確に定義したのは、ヒューリングス・ジャクソンである。
しかし、ジャクソンも注意を促していたように、いわゆる「自動症」に関しては、大脳灰白質の過剰発射が直接的な原因とはならない。ジャクソンによれば、「自動症」の原因は、低次脳中枢の過剰活動状態にあると言う。大脳灰白質の過剰発射によって、低次脳中枢が高次脳中枢の制御から開放されることを契機としているのである[9]。秋元も述べているように、「この考えはやがてさらに発展して、精神自動症は神経系進化の最高次階層の上層の解体によって解放された下層の過活動であり、陽性症状であるとする見解に到達する。この場合の上層の解体に対応するのが意識喪失であり、陰性症状を構成する。すなわち、精神自動症は陰性症状と陽性症状からなる二重構造duplexを示す典型的な凶器の状態像である。精神自動症は最高階層上層からの制御を失った下層の自動的、ロボット的活動のあらわれである」[10]。
ジャクソンは、哲学的な心身二元論から脱却することはできなかったが、学ぶべきところは大きい。この「てんかん」と「自動症」に関する考察は、今日の「側頭葉てんかん」に対する観察に大きな寄与を果たしている。とりわけ、進化における進歩を「最大の自動性から最小の自動性に向かうこと」と定義したことについては、興味深い。と言うのも、この定義によれば、脳システムの最高中枢が最小の自動性しか持たないという見解に辿り着くからだ。「そして、人は、身体的に見れば、自動機械automatonであり、彼の神経系の最高の部分(最高中枢)が最小の自動性であるということを意味するのです」[11]。
かくして、近代以降の「てんかん」すなわち「エピレプシー」の病原は、大脳灰白質の一局所に発現する機能的異常であると考えられるようになった。そして「自動症」の原因は、高次脳中枢の解体によって引き起こされる低次脳中枢の過剰活動であると定義されることになった。これ以降、ペンフィールドは、てんかん性放電による電気刺激によって、灰白質の機能を部分的に阻害する研究調査を実施している。ペンフィールドの報告によれば、「側頭葉と前部前頭葉は心の働きと密接に関係しており、この部分に生じたてんかん性の放電は、過度の興奮を上部脳幹にある問題の灰白質まで伝えて、『小発作』の場合とほとんど変わらない自動症をひき起こすことがある」[12]。
とはいえ、「何かをしようと考えている最中に自動症の発作に見舞われると、自動人間と化した患者は、その計画を驚くほど細部にわたって実行するのである」[15]。こうした「自動人間」の特徴は、我々が常々言及してきた閾下の無意識の領域に位置する<自分>、あるいは「自称人間」として「自己家畜化」している「動物」たちを想起させる。ジャクソンと彼に倣う秋元も述べていたように、自動症はしばしば客観的には異常とは認められないまま経過することもある[16]。こうした背景から、「自動人間は、脳のコンピュータに収められた生得の、また生後身につけた、反射と技能を利用しているだけなのである。もっとも、ときに二、三分の間意志の代りをつとめる計画を持つことはある。いずれにせよ、人間の脳に組み込まれた自動的な感覚-運動機構は、あらゆる生物コンピュータのなかで最も驚くべきものであろう」[17]。
この「心のない自動人間」は、ラジカルな「環境管理型権力」のデザイナーが目指す「自称人間」の最終形態であろう。もはや「心のない自動人間」は、新哺乳類脳で創発する感情の偶発性に悩まされる必要は無い。ヨハン・ゴットフリード・ヘルダーとアルノルト・ゲーレンによれば、我々人間は出来損ない「欠陥動物」[18]である。人間の本能や身体の感覚器官は、他の動物に比して未発達である。たとえば動物の母親は、子供に対して母乳を与えることができる。この振る舞いは無論本能的である。したがって、確定論的に説明することができるのだ。これに対して人間は、多種多様な感情を持っている。新哺乳類脳で創発する感情はしばしば、原始爬虫類脳における原始情動や旧哺乳類脳で生じる基本情動を棄却してしまう。それ故、人間の母親は、子供に母乳を与えること以外にも、様々な選択肢を持つことになる。虐待という選択肢や「赤ちゃんポスト」に投函するという選択肢は、この典型的な一例だ。こうした例からも明らかなように、人間は「純粋の本能、すなわち着実な効果をもつ生れついての運動の型、一定の行動図式にきちんと合っている運動の型を持ち合わせていないので、その欠陥には生命の危険さえ感ぜられる」[19]のだ。
このヘルダーの立論を継承したゲーレンは、人間味溢れる感情豊かな意識が発達したことで相対的に退化してしまった身体の感覚器官を埋め合わせるために、「器官の負担免除」[20]という発想に到達している。つまり人間は、身体の感覚器官を操作するアーキテクチャやプラットフォームが浸透した社会基盤に準拠することで、感情が織り成す偶発的な危険性を制御することが可能になるのである。
この意味で、「エピレプシー」と化した「心のない自動人間」は、「自称人間」の「欠陥動物」としての衰えを克服している。もはや「エピレプシー」は、意識システムが創発する偶発的な感情に悩まされる必要は無いのだ。無論、「エピレプシー」それ自体の一挙手一投足にも、不確実性は伴うだろう。しかし、不確実性の度合いは、「自称人間」に比して圧倒的に低い。先述した時空間の「デザイン」を狙った「環境管理型権力」を配備すれば、容易く方向付けることができる。あくまで悩んでいるのは、周辺の<健康な>「自称人間」だけである。「心のない自動人間」を処置しようと奮起するのは、あくまで他の人間味溢れる心を持つ「自称人間」に他ならない。
ラジカルな「環境管理型権力」のデザイナーの立場からすれば、こうした「エピレプシー」は、理想の「動物」である。たとえば、脳システムにコンピュータを接続させるブレイン・マシン・インターフェイスやブレイン・コンピュータ・インターフェイスを応用すれば、より<効率的に>「エピレプシー」化を施すことが可能になる。「環境管理型権力」のデザイナーは、直接「自称人間」の生命システムや脳システムの構造に着手せずとも、ブレイン・マシン・インターフェイスやブレイン・コンピュータ・インターフェイスをメディア化することで、遠隔的に電気刺激を加えることができる。とりわけ側頭葉てんかんの実験モデルとして注目されている「キンドリング法」[21]に関する知見も発達していけば、完全なる「環境管理型権力」の「デザイン」に対して大いなる示唆を与えることであろう。
ここで私自身は深く立ち入ることはしないが、もし読者が完璧な「環境管理型権力」の確立を願うのであれば、てんかん性放電に基づく電気刺激を前部前頭葉や側頭葉に効率よく付与するための研究に、コミットすることをお勧めする。現状では一過性の症状ばかりが報告されているが、無論それは一時的な病状か一時的な電気刺激に基づいた報告に過ぎない。応用は利くだろう。
[2] オゥセイ・テムキン(著)、和田富治(訳)『てんかんの歴史1 古代から十八世紀まで』、『てんかんの歴史2 19世紀とジャクソン』中央洋書出版部(1989)を参照。
[3] ヒポクラテス(著)小川政恭(訳)『古い医術について』岩波書店(1996)を参照。
[4] 同上、p44を参照。
[5] 同上、p57を参照。
[6] Lennox WG(1960) : Plate 1 transfiguration by Raphael. Epilepsy and Related Disorders, vol 1, vol 2, Little Brown and Company, Boston/Toronto, pp713-719.
[7] 秋元波留夫(著)、上田敏(著)『精神を病むということ』医学書院(1990)、pp211-214を参照。
[8] ジョン・ヒューリングス・ジャクソン(著)、秋元波留夫(訳編)『ジャクソン 神経系の進化と解体』創造出版(2000)、p28を参照。
[9] 同上、p117を参照。
[10] 同上、p117を参照。
[11] ジョン・ヒューリングス・ジャクソン(著)、秋元波留夫(訳編)『ジャクソン 神経系の進化と解体』創造出版(2000)、p43を参照。尚、ジャクソンの定義によれば、「最も組織化された」という表現と「最も自動的な」という表現は、共に「最も完全に反射的」という表現に対応している。詳細は、pp44-45を参照。
またジャクソンによれば、「神経構造の活動に意識の伴うことが少なければ少ないほど、それらはより多く組織化され、より自動的であり、そうなります。このことは最高、より少なく組織化され、より少なく自動的、最も不完全に反射的な中枢が意識、とくに最も鮮明な意識の身体的基盤であることを意味します」(同上、p53)。
[12] ワイルダー・ペンフィールド(著)、塚田裕三(訳)、山河宏(訳)『脳と心の正体』法政大学出版局(1987)、p81を参照。
[13] 同上。
[14] 同上。
[15] 同上、p91を参照。
[16] ジョン・ヒューリングス・ジャクソン(著)、秋元波留夫(訳編)『ジャクソン 神経系の進化と解体』創造出版(2000)、p53を参照。
[17] ワイルダー・ペンフィールド(著)、塚田裕三(訳)、山河宏(訳)『脳と心の正体』法政大学出版局(1987)、p94を参照。
[18] 今一度、次の文献を参照。ヨハン・ゴットフリード・ヘルダー(著)、大阪大学ドイツ近代文学研究会(訳)『言語起源論』法政大学出版局(1992)、pp21-27。
[19] 同上。
[20] 今一度、次の文献を参照。アルノルト・ゲーレン(著)、亀井裕(訳)『人間学の探求』紀伊国屋書店 (1999)、pp36-39、pp219-220。
[21] 「キンドリング法」とは、てんかん性反応の実験における人工的なモデルである。特に側頭葉てんかんの実験において注目されているモデルだ。その主な特徴は、非てんかん性の脳システムに持続性の痙攣準備状態を構成させることである。そして、この方法の最終的な狙いは、刺激後の発射を誘発させることにある。
キンドリング法の過程は、次のようになる。まず、脳システムの局所に痙攣閾値以下(50μA~300μA)の電気刺激を1日1回1秒間、加えていく。すると、その局所における刺激後のてんかん性放電が徐々に長期化していく。放電の長期化が進行していけば、やがててんかん発作の発現条件が整う。この放電が拡張されていくに従って、発作それ自体も強くなる。最終的には全身痙攣に行き着く。この過程は、各動物によって異なる。たとえば、霊長類などの飛躍的に進化を遂げた動物の場合、解体にはより多くの時間を要する。
てんかんは多種多様である。そのため、電気刺激を与える部位によって異なる結果が生じる。たとえば、最終的には二次性全般発作が伴うケースもある。この場合、たとえ1年間電気刺激を中断したとしても、突発性の放電は持続することになる。二次性全般発作が自発的に反復してしまうのだ。
この「キンドリング法」をはじめとしたてんかんの実験モデルに関しては、松下正明(編)『臨床精神医学講座 第9巻 てんかん』中山書店(1998)、pp308-316、及び懸田克躬(編)『現代精神医学大系 年刊版 '87-B』中山書店(1987)pp63-81を参照。