「メディア論」を主張するネオ・フランクフルト学派ノルベルト・ボルツは、この関連から、「グーテンベルク銀河系」に引導を渡している。「グーテンベルク銀河系の教養戦略はその役割を終えた。新しいメディア世界の申し子たちは、もはや書物に埋もれることはない。画面にかじりつく。何かを検索し研究する場合も、音声文字の叡智を一行一行丹念に追うのではなく、アイコンを目印にして行う」[1]。ヴァルター・ベンヤミン[2]が複製技術時代に言及した時から、知識人はこうなることに薄々勘付いていたのかもしれない。書物に記述された「文字」のアウラは、既に喪失していたのである。
論客ボルツは、現代の高度情報社会から知識社会への脈絡に習熟できていない古風な者たちに、鋭利な矛先を向けている。「ヨーロッパの古いタイプの人間たちがいまだ文字に固執し、文学だの、作家だの、著作権だのと『創造的なもの』のフェティッシュにしがみついている間に、新しいメディア環境で人々はとっくに形式と数字と演算に従って行動している。(中略)イデオロギーも(それに通用する批判という形式も)、社会的権力が技術的な標準規格や周波数や到達距離や配線図において組織されるようになってからは、もはやなんの役割も果たさなくなった」[3]。
ボルツは、書物のオルタナティヴとして、ハイパーメディアによる「知のデザイン」を提唱している。「つまり、ハイパーメディアは情報要素を脱コンテキスト化し、同時に再結合という結びつけ方のパターンを提供するのである」[4]。日本でこの「知のデザイン」の代表格として例示できるのは、「ウィキペディア日本語版」であろう。ウィキペディア(Wikipedia)とは、ウィキ(wiki)とエンサイクロペディア(Encyclopedia)から構成された造語である。ウィキとは、誰でも自由に書き換えることができるウェブ・システムである。一方のエンサイクロペディアとは、百科事典を意味する。現状、ウィキペディアは誰でも参入離脱可能な多機能型のフリー百科事典として位置付けされている。「ウィキペディア日本語版」の管理者である吉沢英明によれば、ウィキペディアの理念は「信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げること」であると言う[5]。ボルツによれば、「グーテンベルク銀河系の終焉」以降、「ウィキペディア日本語版」のようなハイパーテクストが活字出版の書物を代価するメディアとなったのである。
[2] ヴァルター・ベンヤミン (著)、佐々木基一 (訳)『複製技術時代の芸術』 晶文社 (1999)を参照。
[3] ノルベルト・ボルツ(著)、識名章喜(訳)、足立典子(訳)『グーテンベルク銀河系の終焉 -新しいコミュニケーションのすがた』法政大学出版局(1999)、p120を参照。
[4] 同上、p223を参照。
[5] 吉沢英明 (著) 『Wikipedia ウィキペディア 完全活用ガイド』マックス (2006)、p6を参照。