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要約
端的に言えば、本レポートは無知な読者を想定してはいない。本レポートが想定している読者とは、「無知を癒すことは如何にして可能なのか」を探究しようとしている読者である。知識社会に対する短絡的な楽観論とは距離を取る私は、ポスト・ヒューマンの時代が「無知」に満ち溢れた社会を構成すると考えている。したがって、「無知」の取り扱いには十分に注意しておきたいところなのだ。
無知への癒し
後々詳細に取り上げていくつもりではあるが、
ポスト・ヒューマンの時代は、無知社会の時代である。知識社会という名目上、今後も情報や知識は量産されることになる。しかし、
社会に情報や知識が量産されることと、我々が自分自身で利用できる情報や知識が増えることとは、直結していない。たとえば、専門家が量子コンピュータに準拠する知識を発達させたとしよう。専門家や知識人からすれば、知識は増えたことになる。だが、大衆やノン・エリートからすれば、それは必ずしも知識の増大とはならない。量子コンピュータがテーマ化されたことによって、大衆やノン・エリートは「量子コンピュータに関する無知」に気付く羽目になったと言った方が、むしろ適切な描写だ。情報や知識が増えるということと、無知が拡大することとは、表裏一体なのである。
ウェブデザインやユーザビリティを考慮するならば、ウェブサイト上で長文のテキスト・ページを公開することなど、馬鹿げているかもしれない。ユーザー・インターフェイス・デザインは、無知な読者を癒すために要請されるものだ。読者からすれば、急進する複雑な社会で量産される膨大な情報や知識を逐一検証している暇は無い。時間も集中力も、限られているのだ。それ故、より単純でわかり易く、短めの文章で語ることが重要となる。複雑な情報や高度な知識を獲得することで無知を改善することなど、今や誰も求めていない。
しかし、無知な読者を癒すということは、私の興味対象ではない。そんなことはどうでもいい。むしろ私の狙いは、無知を癒すということが如何にして可能なのかを論じることである。したがって、より単純でわかり易い短文を記述するというユーザビリティは、私からすれば、数ある癒しの中の一つに過ぎない。無知を癒す方法は、別様にもあり得るのだ。
ユーザーは、確かに単純化された情報や知識を享受することで、無知を癒すことができる。与えられた単純性を無知のまま利用することで、無知では到底対応できない高度な複雑性から、眼を背けることができるのだ。コンピュータの構造的な複雑性を理解していないユーザーがmixiに日記を書けるのは、そのためである。しかし、複雑性の対為す概念が単純性であるという想定は、それ自体が単純化された想定である。むしろ着目すべきは、複雑性の単純化に伴う複雑性である。つまり、ユーザーが無知でもやり過ごせるようにユーザー・インターフェイス・デザインを配備するためには、複雑な設計が必要になるのだ。
したがってこのウェブサイト(レポート)は、無知のまま安堵に浸りたがる読者に対して直接的に優しい訳ではない。「ユーザーに優しい」というのは、ユーザーが情報や知識、あるいは技術を利用する際に、それを理解することによる負担を免除させるということである。このウェブサイト(レポート)が取り組むのは、それが如何にして可能なのかを明らかにすることなのだ。したがって、以下のような読者に関しては、このウェブサイト(レポート)は不向きである。
レポートを書こうとする学部生
まず、このウェブサイト(レポート)を参照文献とすることでレポートを作成しようとしている学部生は、読まない方が無難であろう。このウェブサイト(レポート)で記述されている私の観察の大多数が、既に学術的に認められている文献を手掛かりとしたものだからだ。つまり、
本レポートで記述している事柄は、学術文献を読めば直ぐに想定できる内容なのである。
コピー・アンド・ペーストしようとする閲覧者
レポート作成で楽をしようとしている読者には、更に注意して貰いたい。エピメニデス以降周知のパラドクスを掲げるなら、このレポートの記述者である
私は、嘘吐きである。
あえて作為的に注意を呼びかけておこう。どれほど膨大な参考文献と引用記事を並べたところで、それが<でっち上げ>か否かは、読者が実際に文献を読むまで判らないということを、念頭に置いて貰いたい。
尊敬に値する本場の学者様
このレポートの記述者は、ただの大学生である。したがって、本文のレベルも大学生レベルだ。それ故、
高度に知的で専門的な文献を読みたいと考えているプロの学者様には、物足りないレポートになるだろう。しかし、私には全ての読者が満足するような文章を書くというユーザビリティを配慮する筋合いは無いので、見逃して欲しい。
これは、謙遜ではない。オートロジカルな展開に基づくスタンスである。そもそも知識社会が無知社会だと主張する私自身が「無知」でなければ、自己矛盾ではないか。
短文で単純で正確な文章をお求めのお客様
短文であれば短文であるほど、記述者の意図を伝えることが複雑になる。単純であれば単純であるほど、正確な学術的な表現が不可能となる。正確であれば正確であるほど、短文では許されない厳密なレポートを書かなければならない。短文で単純で正確な文章を書くためには、高度に有効なユーザー・インターフェイス・デザインを考察しなければならなくなる。しかし、上述したように、
私にはそんな筋合いは無い。
「自称人間」
本レポートのメイン・トピックは、ポスト・ヒューマンである。それ故、本文では、人間中心主義者に総攻撃を仕掛ける予定である。したがって本レポートは、誰もが読み易い文章を心掛けるというユーザビリティとは、程遠い文章だ。人間中心主義的なヒューマニズムに依拠する読者まで配慮した文章を書いている訳ではない。
自分が人間性のある人間であると考えている読者や人間の尊厳を護りたいと欲する読者は、アレルギー反応を起こすかもしれない。
展望
以上の不真面目なイントロダクションを背景に、私は主題に言及していくことになる。既に述べたように、私のスタンスは情報や知識を増やすことでもなければ、無知を癒すことでもない。むしろ私のスタンスは、無知を癒すということが、如何にして可能なのかを論じることのだ。 それ故、情報や知識を増やすことを目的にこのウェブサイトを閲覧しているユーザーや、ユーザビリティに依存しなければ何もできない読者には、物足りない立論になるに違いない。
「ポスト・ヒューマン」の考察は、こうしたスタンスを前提に遂行していく。ポスト・ヒューマンを召喚しようとしているトランス・ヒューマニストたちは、今後我々の身体に関する「無知」を拡大していくことになるだろう。したがって私の課題は、身体に関する「無知」を如何にして癒すのかを論じることとなる。参考文献を眺めて見ればわかるように、本レポートではニクラス・ルーマンのシステム理論に全面的に依拠している。複雑性の単純化に伴う複雑性にコミットしていくのだから、考察の展開が複雑になることは、致し方が無いことであろう。
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