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この章の要約
本題に入る前に、ウェブサイトを介して考察を展開していくことの意義を説明しておく。我々は、如何なる観察にも盲点が伴うという認識論的な限界を不可避の前提として受け入れている。と言うのも、この前提を受け入れることで、自己の観察に盲点が伴ったも尚観察を継続することを可能とするスタンスを見出すことができるからだ。
目次
- 対象となる読者
知識を増やそうとする読者、情報を獲得しようとするネットサーファー、レポートを書こうとする学部生、コピー・アンド・ペーストしようとする閲覧者、尊敬に値する本場の学者様、そして短文で単純で正確な文章をお求めのお客様は、本レポートを読まない方が良いだろう。
- 何故ハイパーテクストでレポートを記述するのか
存在意義の無いウェブサイトは不毛である。そこでこのウェブサイトでは、活字で印刷したレポートを再度ハイパーテクストで記述することの意義と、活字で出版されている書物にハイパーテクストで言及することの意義を説明することで、このウェブサイト自体の存在意義を説明することにしたい。
- ニクラス・ルーマンの失敗
社会学者ニクラス・ルーマンは、活字出版の書物において「ハイパーテクスト戦略」を採った。だが、この試みは失敗に終わる。
- ハイパーテクストにおける「間テクスト性」
ハイパーテクストは、シーケンシャルなコンテクストからリアルタイムで脱却することができる。これは書物には無い利点である。
- ウィキペディア・集合知の終焉
「ウィキペディア日本語版」を観る限り、ハイパーテクストは活字出版による書物に依存している。「間テクスト性」という書物には無い利点に依拠したところで、情報や知識の出所を追求していけば、やがては活字出版の書物に回帰してしまう。だとすれば、「知」を目指す者たちは、不可避的に書物の限界に直面するということになる。
- 展望:参入離脱可能な「知のデザイン」
我々にとって必要なのは、「知」を追求することではない。「知」を諦めることである。したがって本レポートでは、「知」を諦める方法を明らかにしつつ、レポートを記述していくことになる。そうすることによって、このウェブサイトは存在意義を担保していくことになる。
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