ポスト・ヒューマンの魔術師

「自称人間」の時代からポスト・ヒューマンの時代へ。

予備考察:細胞システムのオートポイエーシスと構造としての身体

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概要

 ここでは、細胞のオートポイエーシス理論について、簡単に触れておく。

オートポイエティック・システムとしての細胞

 細胞は、オートポイエティック・システムである。細胞は細胞分裂の際に、細胞膜を自己自身で形成している。この細胞膜により、細胞システムは自己自身と自己自身以外のものを区別することが可能になる。細胞システムの要素は、細胞高分子である。細胞システムは細胞高分子の生産を連鎖的に継続することで、位相的空間における閉鎖的領域を形成しているのである。言い換えれば、細胞システムは、形式としての細胞高分子を形式としての細胞高分子の内部へ再参入させることで、自律的な自己再生産活動を織り成しているのである。このことから、細胞システムは、個体性、非分割性、そして自律性を併せ持つことになる[1]。

 単細胞生物においては、細胞システムと生命システムは同一視できる。一方、多細胞生物においては、複数の細胞システムが構造的カップリングを形成し、絶えず別様の要素を生産している。この生産プロセスにより形成される構造により、生命システムの要素が形成される。それ故、細胞システムは生命システムの外部環境に位置付けされるのである。とはいえ、細胞システムは生命システムの部分ではない。何故なら、双方のシステムは異なる位相的空間に存在するからである。したがって、たとえ生体を形成する細胞システムが全て入れ替わったとしても、生命システムそれ自体は自己自身を保つことが可能となる。

 構造的カップリングを形成する双方のシステムは、互いに自律性を維持する。したがって、互いに攪乱し合う場合もあれば、破壊的相互作用を及ぼす場合もある。たとえば発癌とは、細胞システムから生命システムへ与えられる破壊的相互作用である。それ故、生命システムにおける作動の維持が危険に晒されることになる。

 だが、攪乱にせよ破壊的相互作用にせよ、事前に予期することはできない。事後の事実性を加味することでしか、発生を把握することはできないのである。無論、細胞システムから与えられた破壊的相互作用により、生命システムの要素を担う各器官の機能的分化が阻害されれば、生命システムは要素の生産プロセスの継続を絶つことになり、消滅する。しかし、双方のオートポイエーシスが維持されている状況内であれば、確実的な予期は不可能となる。何故なら、オートポイエーシス的作動を継続可能な範囲内で細胞システムを負傷したとしても、消滅する生命システムもあれば延命する生命システムもあるからだ。たとえば、同じ肺癌でも、死亡する者と死亡しない者がいる。これは、ある細胞システムの破壊的相互作用における影響を必ずしも確実的に予期することは不可能であることを意味する。逆に言えば、生命システムが破壊されれば、関係性を持つ細胞システムの破壊が伴う。

 生命システムの三次元的空間における構造は、身体である。身体が三次元的空間内で破壊されれば、生命システムはオートポイエーシス的作動が阻害されることになり、場合によっては消滅に繋がる。とはいえ、細胞システム同様に生命システムも自律的であるが故、身体がどの程度破壊されれば生命システムの消滅に繋がるかは不確実である。生命システムが消滅するか否かはあくまで生命システムそれ自身が決定するという訳だ。

 各器官は、三次元的空間において分出している。これらの各機能が生命システムの位相的空間における閉鎖的領域を形成している。したがって、これらの各器官のうち一つでも破壊されれば、閉鎖的領域に風穴が開くことになる。各器官の破壊が死に繋がるのは、このためである。全ての器官は連鎖的なネットワーク状で結び付いているため、ある器官の破壊が別の器官の破壊へと結び付くケースもある。たとえば肺に破壊が伴えば、呼吸不全となり、筋肉の作動も困難となる。一方、老廃物は生命システムが生産した要素以外の生産物である。この老廃物は、システムにより生産されていながらもシステムの再生産には関係しない。構造としての身体にも属さないのだ。

 他方、脳細胞の機能的モジュアリティは、代価作用を持つ。ある脳細胞が破壊された場合、その脳細胞の機能を別の脳細胞が担うことがあり得るのだ。これは、生産プロセスの連鎖的ネットワークが変形し、位相的空間における閉鎖的領域が変容することで生じる出来事である。つまり、構造が変化しながらも、生命システムのオートポイエーシス的作動は継続されるのである。ある形式が別の形式の「負担免除」となるという想定は、細胞システムでも該当するのである。

 こうした構造の変化は、成長という出来事にも通じる。位相的空間における閉鎖的領域が変容し、構造の生産プロセスも変化したとしても、本来位相的空間に位置する生命システムそれ自体は変化していない。あるお玉杓子が蛙に成長したとしても、お玉杓子の生命システムそれ自体が消滅している訳ではないのである。

 これを前提に言えば、身体を有機化学的に造り上げたとしても、そこに生命システムが宿ることは無い。一度生命システムが消滅した死体を人工的に回復させたとしても、生命システムが再度作動し始めることは無いのである。生命システムが作動するか否かを決定するのは、生命システムそれ自体である。また、三次元的空間に存在する身体を完全に再現したとしても、位相的空間に存在する生命システムの再現には結び付かない。したがって、身体の回復による死者蘇生はあり得ない。しかし、生命システムが作動している場合、要素となる各器官や細胞を代謝することは可能である。何故なら要素の生産プロセスには、生産のみならず破壊も含まれるからである。臓器移植や輸血のように、自己再生産活動を阻害しない限りにおいては、代価物は適用できるのである。

脚注

[1]  ウンベルト・マトゥラーナ(著)、フランシスコ・ヴァレラ(著)、河本英夫(訳)『オートポイエーシス―生命システムとはなにか』国文社 (1991)、pp82-117を参照。

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