ポスト・ヒューマンの最終戦争の「ポスト・ヒューマンのパラドクス」を公開しました。
今や我々は、個別具体的な出来事の「金魚の糞」となることで場当たり的で馬鹿の一つ覚えのように観察するのではなく、根本的な事柄に言及せざるを得なくなっている。我々が直面しているのは、ポスト・ヒューマンと「人類総動物化計画」を巡る巨大なパラドクスだ。これを背景とするならば、我々は、パラドクスに向き合うための準備を整えておかなければならない。
それを可能とするのは、客観性を信仰する科学的宗教ではない。お笑い根拠付け劇場でもない。そもそもこうした概念が適切に機能しているならば、我々はパラドクスに直面せずに済んだはずだ。客観的に考察するには、主観と客観の区別を客観的に定義しなければならない。自己言及的パラドクスだ。根拠付けを成立させるためには、根拠の根拠を問い続けなければならない。無限後退だ。これらの概念は確かにパラドクスに対処しているのだが、同時に新たなパラドクスを派生させているのである。パラドクスの解決すらパラドキシカルだとすれば、もはや既存の有り触れた思考方法では上記の問題に太刀打ちできるほどの効果は得られない。
これに対してシステム理論は、以下のような方法から、パラドクスの脱パラドクス化を可能としている。