『ポスト・ヒューマンの哲学』の『機能的等価物による「負担免除」』に、ツァラストゥストラが直面したパラドクスについて追記しました。
超人思想の反時代的な脈絡に野次を飛ばす大衆諸君。超人、すなわちポスト・ヒューマンを本気で実践しようとする綱渡り師。その事態を後ろから嘲笑する道化師。そして最終的に自ら道化師として振舞わざるを得なかったツァラストゥストラ。
まあ、読み直していて面白かったから追記したんですが。
追記した文章は、以下の通りです。
一方で、綱渡り芸が中々披露されない状況に、今度は道化師が参入してくる。道化師は、未だ綱を渡り切れていない綱渡り師を軽妙に飛び越え、軽々しく綱渡りを披露する。綱渡り師は、道化師がいとも簡単に綱渡り芸を披露したことを前にして、愕然と肩を落とす。集中力が途切れた綱渡り師は、不意に綱から落下してしまう。ツァラストゥストラに対する大衆の「野次」は、その超人思想を台無しにした訳ではあるが、道化師の参入は、綱渡り芸を台無しにした訳だ。
一連の茶番は、ツァラストゥストラの超人思想に対する誤謬を招いた。綱渡り師は、危険への没入を天職とすることで、超人思想のパロディを描くに至った。言葉通りの意味で、自らの死を以って未来へと「超えて」いくことを狙ったのだ。だが一方で道化師は、この綱渡り師それ自体の振る舞いを嘲笑うかのようにパロディ化している。言葉通りの意味で「超人」を再現しようとする綱渡り師には、アイロニカルに微笑む道化師に対抗するほどの余裕が無かった。だから道化師は、安々と綱渡り師自身を「跳び越えた」のである。
そして結果的にツァラストゥストラは、道化師の一員として嘲笑されることになる。しかしながらツァラストゥストラは、道化師のアイロニカルな微笑みに対して、オルタナティブを提示できずにいた。だからツァラストゥストラは、自ら道化師として振舞うことで、道化師自身を跳び越えようとする。つまり、自らの超人思想をパロディ化する道化師の振る舞いそれ自体をパロディ化することによって、逆に超人思想をパロディ化から守ろうとした訳だ[1]。