KoshianX氏が鋭い考察を展開していた。「デザイン」が人間を無表情にするらしい。ルイス・ヤブロンスキー流に言えば、「デザイン」が「ロボット症」の人間を生み出していると言ったところだろうか(1)。つまり、「デザイン」による機能的な方向付けに従事したままでは、人間味の溢れるクリエイティブな発想は生まれないということである。
さて、私もいわゆる「デザイン論」を論じているのだが、KoshianX氏のこの見解に対しては、異論は全く無い。全くその通りだ。異論の余地が微塵も無いと言っても過言ではない。それよりも、むしろ私は、人間性を棄却する「デザイン」がもっと大掛かりな形式で実行可能になっていると考えている。そして私は、こうした脱人間的な「デザイン」の是非を問わず、ただ冷徹にその実行可能性と接続可能性を記述するスタンスを採っている。詳しく見ていこう。
http://blogs.yahoo.co.jp/eureka_blog/53971424.html
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/03/post_15.html
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