【絵文録ことのは】の『コメント・トラックバックは「原則として削除」というルールを掲げます』(1)は、私が以前書いた『finalvent氏の「ブログ・クソッタレ撲滅ルール」の致命的な弱点。』を巧い具合に補っていると思う。こうした「理路整然とした待ち構え」が可能であることは、私にとって盲点であった。この「原則として削除」のルールを掲げておけば、トラックバックの削除をテーマとした<でっち上げ>も無効化されてしまうだろう。良い案だ。
しかし、私のように、非アルファブロガーである者たちは、気をつけた方が良い。私のブログのように、全く知れ渡っていないブログがこの「原則として削除」を採用してしまうと、孤独感に悩まされてしまうからだ(笑)
※付言しておくと、以上のようなスタンスは、全てネオ・フランクフルト学派の「作為の学」に依拠するものである。これについては、ここでは省略しても文意は伝わるだろう。いずれ説明する。
しかし、宗教的な教義機能による堂々巡りの遮断は、社会学で長らく論じられてきた「包摂と排除の逆説」を呼び起こす。「宗教は、社会全体のレベルで、統合的要因として働き、また個人のレベルでは、動機付けの要因として働くと考えられてきた。どちらのレベルにおいても、宗教は、意味の意味を、また意味深い「究極の真理」を提供してきた」(4)。しかし、宗教は議論や闘争を呼び込む。非統合的要因もあるのだ。また、個人レベルでもまた、宗教へのコミットメントに疑念を抱く者もいる。万人を一つの宗教に包摂することはできない。そこには漏れがある。包摂の逆は排除だ。だから宗教は、排除作用としても立ち上がる。しかし逆に言えば、排除作用があるからこそ、包摂への動機付けが生れるのである。「だからパラドクスなのだ。いかなる努力をもってしても、開始し始めたその所で--つまり解き放たれたと思った問題において--再び終りが理解される」(5)。
以上のようなシステム理論的な考察を後ろ盾にするならば、私の見解は、非アルファブロガーは「原則として削除」という運営スタンスを大々的に公開すべきではないということに結び付く。ブロガーの運営スタンスをドグマティークに解説してしまえば、閲覧者を遠ざけてしまうということに繋がる。「原則として削除」というトラックバックへのタブー視は、無論明示的に行なわれている。しかし、明示的であるからこそ、閲覧者の遠ざけに結び付いてしまうのである。明示的なタブー化は、包摂と排除の逆説を浮き彫りにしてしまう。しかし暗示的なタブー化ならば、パラドクスの隠蔽が可能になる。<暗示的なタブー化>と<タブー化することで可能になる出来レース>は、地と図の関係なのだ。したがって、「暗号化と、謎に満ちた<ほのめかし>は、その表現方法に特有の<コミュニケーションについてのコミュニケーション>というやり方であり、宗派間の度重なる争いと粗探し、いろいろな箇条と戦争が一切の教義の信用を失墜させた後に、このやり方こそが宗教だと感じられ、別扱いされたのであった」(6)。
全く以って有名でも何でもない私のようなブロガーたちは、むしろ「ゴミのようなトラックバック」への認識を<暗示的なタブー化>までに抑えておくべきであろう。そして、<タブー化することで可能になる出来レース>の恩恵を享受すべきだ。
当たり前の話ではあるが、たとえば言及付きのトラックバックを受信すれば、そのブログが他者により閲覧される可能性は高まることになる。たとえ送られるトラックバックがゴミだとしても、そのゴミのようなトラックバックは、ゴミの送信者以外の優秀な観察者によって閲覧される可能性を高めてくれているのである。
ゴミのようなトラックバックの送り手の相手をする必要は無い。だが、削除するのは惜しい。送り手本人の存在それ自体は自分にとって全く役に立たないだろうが、その言及付きトラックバックの記事は、別の優秀な人物が閲覧する可能性を高めてくれる。これは非アルファブロガーにとって有り難いことであろう。
ゴミのようなトラックバックは、優秀な人物とのコミュニケーション・チャンスを拡張してくれる。トラックバックの包摂と排除という二項図式を棄却することが、逆説的にも、優秀なトラックバックを包摂する可能性を高めているのである。
「ついでに言えばソーシャルブックマークでブクマするってのはそれだけで1以上の被リンクを増やすし、b.hatena.ne.jpのページランクの高さもあって検索にもひっかかりやすくなる。
ここまで言えばわかるだろうか。
そう、いわゆるdisりやネガティブコメントの類は、やっても不快感を生むだけどころか、その記事やブログをよりウェブ上で「強く」しているのである。
彼らは知ってか知らずか、自分がdisってる対象を「人気ブログ」に押し上げる手伝いをしてるのだ。こういうのを「ネットリテラシーが無い」というのだろう。」
(KoshianX(著)『糞ブログがはびこるのはお前のせい──あるいは応援ブクマのススメ』狐の王国(2008)、URL:http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20080602/1212434297、閲覧日時:2008/06/27 11:33)
もし非アルファブロガーがゴミのようなトラックバックに関して悩んでいるのならば、松永氏のルールを真似るよりも、KoshianX氏が説明されているアイロニーを逆手に取ることを考えた方がマシだろう。初めに「言及リンクの無いトラックバックは表示されません」と述べておくだけで良い。そうすれば、貴方のブログ記事を批判したくて堪らない積極的なブロガーたちが、貴方のブログ記事に言及リンク付きのトラックバックを送信してくれる。そのトラックバックがゴミだとしても、その言及リンクは送り手とは別の優秀な人物を招き入れる契機となる。有名でも何でもないブロガーは、トラックバックの是非を巡る運営スタンスをドグマティークに語るよりも、むしろトラックバックされそうな記事をただひたすら書き続けていた方が実りがあるという訳だ。
(4)ニクラス・ルーマン(著)、土方透(訳)、大澤善信(訳)『自己言及性について』国文社(1996)、p143を参照。
(5)ニクラス・ルーマン(著)、土方昭 (訳)、土方透 (訳)『宗教論--現代社会における宗教の可能性』法政大学出版局 (1994)、p73を参照。
(6)ニクラス・ルーマン(著)、村上淳一(訳)『ポストヒューマンの人間論―[後期ルーマン論集]』東京大学出版局(2007)、p192を参照。